アディダスだったから、歩くと決めた。 [痩せる]
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我孫子で被災し自宅は外房。
鉄筋に囲まれた非常階段、
波の上のようにぐらつくビルが、
時折ペンキの塗装を苦しそうに口から吐き出し必至に耐えている。
アチコチにばらまいた白い粉、荒い屑、ときどき亀裂。
目新しいビルでも安心できない。
ふらつきながらたどり着いた地上階から、思い切り外へ解き放たれると、
向かいのスーパーやマクドナルドからも、客も従業員も一緒くたとなって外に溢れていた。
駅方面に歩くと漫画みたいにパーマ中の美容室の客が頭もそのままで
外へと避難している。
知り合い同士は声を掛け合い、電気屋の店頭テレビに人が群がっていた。
レンタカー屋で車を借りてはどうかともおもったが、
どうやら手配はしてないようだ。
携帯電話の電池残量が危険な状況で、ドコモショップを探したものの、
あたりには見当たらず、コンビニの簡易急速充電器もXperiaに限って
利用出来るものがなく、フラストレーションを抱えたまま
公衆電話から連絡をとってみる。
プーッと言う無機質な開始音とともに
公衆電話はどうにか繋がった。
10円玉が吸いこまれる。小銭の用意がないので簡潔に用件を伝えた。
歩いて行けるとこまでいく。
いつものことだけれど。じっと待ってんのは苦手。
アディダス履いてる、いける。遠くまでだって。
まずあのビルの最上階から遠くに見えてた手賀沼、これをを越す。
瓦の落ちた民家、避難所へと向かう親子連れ。
あちこちから断水を告げる広域放送が流れている。
避難する人達と反対方面へと一人漫然と進む。
昔一度は通ったことのある経路を思い起こし、
感覚的には実家の佐倉市までのルートを描けていた。
ただ日が暮れるにつれ、強気の感覚は夕闇に吸い込まれ、
不安だけが深まっていくのを感じていた。
なんとも誤算だったのは日暮頃になんとか辿り着いた北総線が、
完全に閉鎖されていたことだった。
完全に閉ざされたシャッターと、大急ぎで貼られた簡易なビラ。
人気のない駅が風でカタカタ不気味に揺れていた。心が怪物に食われて
空っぽになった気がした。
それでもなおさら遠くまで移動することが100%確定した中で、
踏みとどまる選択はなく、ただ歩き続けるしかなかった。
感覚的にここらで左と判っていても車どおりの多い通りから一本反れると
真っ暗闇の中で大きく迷うのではないか、その恐怖心に打ち勝てず、
結果随分と遠回りをしはじめていた。
その分たくさんの車にも抜かれ、携帯電話はとっくの昔に
電源が完全に落ちてしまっていた。
京成は動いてる。千葉に向かうこともできるだろう。
携帯もなく情報の入らない今、想像の世界でそれだけ願って歩いた。
けれどやはり、かなり体力を使い果たした状態で辿り着いた勝田台駅、
多くの人々がへたりこんでおり、駅員の説明を聞くまでもなく諦めるよりなかった。
残された目的地は実家への待避しかなかった。
15時から歩き、佐倉へとたどり着いたときには21時を過ぎていた。
そしてTVから何が起きたのか、今何が起きているのか。
情報が山のように押し寄せてきた。
自分の足で見てきたもの、テレビが流している世界、
この地震が引き起こしている影響の根深さに眩暈がした。
TV、インターネット、日付をまたいでもとにかく情報を整理し続けた。
朝をどう迎えるだろう。
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我孫子で被災し自宅は外房。
鉄筋に囲まれた非常階段、
波の上のようにぐらつくビルが、
時折ペンキの塗装を苦しそうに口から吐き出し必至に耐えている。
アチコチにばらまいた白い粉、荒い屑、ときどき亀裂。
目新しいビルでも安心できない。
ふらつきながらたどり着いた地上階から、思い切り外へ解き放たれると、
向かいのスーパーやマクドナルドからも、客も従業員も一緒くたとなって外に溢れていた。
駅方面に歩くと漫画みたいにパーマ中の美容室の客が頭もそのままで
外へと避難している。
知り合い同士は声を掛け合い、電気屋の店頭テレビに人が群がっていた。
レンタカー屋で車を借りてはどうかともおもったが、
どうやら手配はしてないようだ。
携帯電話の電池残量が危険な状況で、ドコモショップを探したものの、
あたりには見当たらず、コンビニの簡易急速充電器もXperiaに限って
利用出来るものがなく、フラストレーションを抱えたまま
公衆電話から連絡をとってみる。
プーッと言う無機質な開始音とともに
公衆電話はどうにか繋がった。
10円玉が吸いこまれる。小銭の用意がないので簡潔に用件を伝えた。
歩いて行けるとこまでいく。
いつものことだけれど。じっと待ってんのは苦手。
アディダス履いてる、いける。遠くまでだって。
まずあのビルの最上階から遠くに見えてた手賀沼、これをを越す。
瓦の落ちた民家、避難所へと向かう親子連れ。
あちこちから断水を告げる広域放送が流れている。
避難する人達と反対方面へと一人漫然と進む。
昔一度は通ったことのある経路を思い起こし、
感覚的には実家の佐倉市までのルートを描けていた。
ただ日が暮れるにつれ、強気の感覚は夕闇に吸い込まれ、
不安だけが深まっていくのを感じていた。
なんとも誤算だったのは日暮頃になんとか辿り着いた北総線が、
完全に閉鎖されていたことだった。
完全に閉ざされたシャッターと、大急ぎで貼られた簡易なビラ。
人気のない駅が風でカタカタ不気味に揺れていた。心が怪物に食われて
空っぽになった気がした。
それでもなおさら遠くまで移動することが100%確定した中で、
踏みとどまる選択はなく、ただ歩き続けるしかなかった。
感覚的にここらで左と判っていても車どおりの多い通りから一本反れると
真っ暗闇の中で大きく迷うのではないか、その恐怖心に打ち勝てず、
結果随分と遠回りをしはじめていた。
その分たくさんの車にも抜かれ、携帯電話はとっくの昔に
電源が完全に落ちてしまっていた。
京成は動いてる。千葉に向かうこともできるだろう。
携帯もなく情報の入らない今、想像の世界でそれだけ願って歩いた。
けれどやはり、かなり体力を使い果たした状態で辿り着いた勝田台駅、
多くの人々がへたりこんでおり、駅員の説明を聞くまでもなく諦めるよりなかった。
残された目的地は実家への待避しかなかった。
15時から歩き、佐倉へとたどり着いたときには21時を過ぎていた。
そしてTVから何が起きたのか、今何が起きているのか。
情報が山のように押し寄せてきた。
自分の足で見てきたもの、テレビが流している世界、
この地震が引き起こしている影響の根深さに眩暈がした。
TV、インターネット、日付をまたいでもとにかく情報を整理し続けた。
朝をどう迎えるだろう。
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