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もやもやを乗せ京成電車が、京成バスが、京成グループのタクシーが走る。 [痩せる]

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一部区間を除き運行。一部の真っ只中 にいる。
都内は復旧しているというのに
県内はまだまだ運休の割合が断然高い。

仕事は元々休みだったが寝たきりの携帯にかえて、
パソコンのEメールで会社と連絡を取っていると
どこも営業をしているという。

帰宅できなかったため会社に寝泊まりし、
そのまま仕事してるのだという。

施設に閉じ込められたという情報を最後に、
その後の連絡が途絶えた自分のスタッフが
気がかりで、もやもやしていた。

何度かけれても呼び出し音が永遠続けるだけ。
異次元へでも電話してる気分に陥る。もやもや。

欠けたもやもやパズルのピースを探しに、
一部運休区間を歩いて抜け、代行バスに乗って、
途中からタクシーを捕まえて。

正午少し前に辿り着いた眼前に広がる仕事場は
所々半端に放置されたあとがみられたが、
明かりをつけたら普段通りの時間が
流れはじめた気がした。

止まった分の時間を手作業で埋めていく。
これからのことも段取りを立て直す。

ドコモショップ充電で充電もした。

もう大丈夫。

けれど外房線はまだ復旧せず。
自宅にはむかえず実家への待避が続く。

そんな状況は続くものの、
見えない、わからない、もやもや感から解放され、
安心しきって職場をあとにした。

まさか翌朝、回復したはずの京成線の
駅シャッターが降ろされていようとは
思いもしなかったのである。

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アディダスだったから、歩くと決めた。 [痩せる]

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我孫子で被災し自宅は外房。

鉄筋に囲まれた非常階段、
波の上のようにぐらつくビルが、
時折ペンキの塗装を苦しそうに口から吐き出し必至に耐えている。

アチコチにばらまいた白い粉、荒い屑、ときどき亀裂。
目新しいビルでも安心できない。

ふらつきながらたどり着いた地上階から、思い切り外へ解き放たれると、
向かいのスーパーやマクドナルドからも、客も従業員も一緒くたとなって外に溢れていた。

駅方面に歩くと漫画みたいにパーマ中の美容室の客が頭もそのままで
外へと避難している。

知り合い同士は声を掛け合い、電気屋の店頭テレビに人が群がっていた。

レンタカー屋で車を借りてはどうかともおもったが、
どうやら手配はしてないようだ。

携帯電話の電池残量が危険な状況で、ドコモショップを探したものの、
あたりには見当たらず、コンビニの簡易急速充電器もXperiaに限って
利用出来るものがなく、フラストレーションを抱えたまま
公衆電話から連絡をとってみる。

プーッと言う無機質な開始音とともに
公衆電話はどうにか繋がった。
10円玉が吸いこまれる。小銭の用意がないので簡潔に用件を伝えた。

歩いて行けるとこまでいく。
いつものことだけれど。じっと待ってんのは苦手。
アディダス履いてる、いける。遠くまでだって。

まずあのビルの最上階から遠くに見えてた手賀沼、これをを越す。

瓦の落ちた民家、避難所へと向かう親子連れ。
あちこちから断水を告げる広域放送が流れている。

避難する人達と反対方面へと一人漫然と進む。

昔一度は通ったことのある経路を思い起こし、
感覚的には実家の佐倉市までのルートを描けていた。

ただ日が暮れるにつれ、強気の感覚は夕闇に吸い込まれ、
不安だけが深まっていくのを感じていた。

なんとも誤算だったのは日暮頃になんとか辿り着いた北総線が、
完全に閉鎖されていたことだった。

完全に閉ざされたシャッターと、大急ぎで貼られた簡易なビラ。
人気のない駅が風でカタカタ不気味に揺れていた。心が怪物に食われて
空っぽになった気がした。

それでもなおさら遠くまで移動することが100%確定した中で、
踏みとどまる選択はなく、ただ歩き続けるしかなかった。

感覚的にここらで左と判っていても車どおりの多い通りから一本反れると
真っ暗闇の中で大きく迷うのではないか、その恐怖心に打ち勝てず、
結果随分と遠回りをしはじめていた。

その分たくさんの車にも抜かれ、携帯電話はとっくの昔に
電源が完全に落ちてしまっていた。

京成は動いてる。千葉に向かうこともできるだろう。

携帯もなく情報の入らない今、想像の世界でそれだけ願って歩いた。

けれどやはり、かなり体力を使い果たした状態で辿り着いた勝田台駅、
多くの人々がへたりこんでおり、駅員の説明を聞くまでもなく諦めるよりなかった。

残された目的地は実家への待避しかなかった。
15時から歩き、佐倉へとたどり着いたときには21時を過ぎていた。

そしてTVから何が起きたのか、今何が起きているのか。
情報が山のように押し寄せてきた。

自分の足で見てきたもの、テレビが流している世界、
この地震が引き起こしている影響の根深さに眩暈がした。

TV、インターネット、日付をまたいでもとにかく情報を整理し続けた。

朝をどう迎えるだろう。

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3/11、防火管理者講習会→講習会会場が被災の憂鬱 [当たる]

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土地勘のない我孫子での防火管理者講習の受講。
遠くには手賀沼が見渡せる駅前の目新しいビルの上層階で行われていた。

昼ごはんには記念に最上階でパスタランチ。
きれいなビルに遠くの手賀沼を眺めながら。

最終日となる2日目、残り数時間となった午後の授業。
直前には地震(プレート)のこと、中央管理室が被害状況を確認することなど、
災害に関しての講義の最中だった。ビルがうねったのだ。

知らない土地の、知らないビルの、上層階で誰のブラックジョークか。

うねるビルの中で、天井の吊り下げライトが落下しないか気にした。
きれいだと思ってたビルの、近代的なガラス張り構造がいやに怖かった。
ガラスがねじれながらも割れずに保たれていたが、このガラスが抜け、
ビルが傾いた時にはコロコロと空中に放りだされるに違いない。

最中、携帯をいじくり震源地がどこか調べた。

小さな地震でもどこか遠くで大きな地震が起きてるんじゃないかと
ネガティブに考える癖が数年前の大阪にいた頃からの習慣。

身体は揺れで動かせないのに、指先だけは別の生物のように
滑らかに携帯を叩く。

激しく揺さぶられる机は講義中だったので狭い机に3人掛け。
赤の他人の3人掛けが3人掛けのまま、あまりにも前後に激しくスライドしたものだから
綺麗に並んでた列が馬鹿みたいにぐちゃぐちゃになっていった。

そして大人が数人で動かすような脇のグランドピアノまでスライドしていた。

ヤフートップページやプロバイダトップページ、ツイッターのフォロワーの書き込み、
まごまご当てなく探し回っていたものだから震源地情報は隣の男性が先に見つけ、
教えてくれた。

3人掛けの窮屈な机とイス、見知らぬ完全な他人が情報を共有する。
状況を共感している、不思議な空間。

震源地が東北と聞いて地震の規模を悟った。

何度も続く余震、ニュージーランドのビル倒壊が頭をよぎる人、
とにかく早く階下に下りたい人、家族に電話する人。苛々しながら途中離席した人。

冷静なようで気が動転しているのか、授業を続けようとする講師。

「外に火の手は見えてません」
「中央管理室がビルの被害状況を確認しています」
「なのであとすこしで終わるので授業を続けます」

けれど「火事だ!」大声で誰かが叫ぶ。みんなどよめく。
「お台場が燃えている」ここじゃないのか。みんな少し安堵する。
そんな不安感の中、数十分を経て、やっと普通じゃない余震の数に、
普通に講義を続けてられないと判断された。

講義が切り上げられ、非常階段から階下に降り、
それぞれがビルから離散していく。しつこく余震に襲われながら。

隣の人とは講義を切り上げたところで、電車も動かずどうにも身動きとれないだろう。
このビルの中のほうがむしろ安心なのかもしれない、そんな会話もあったけれど。

歩くしかないな。

もうこのときには決めていた。

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